特別区の職員採用試験で合格を目指す人を応援するブログ

特別区Ⅰ類を中心に、公務員試験の難易度や勉強方法を紹介していきます。

公務員試験で「安定」などの不純な志望動機は何故いけない?

公務員試験では、どういう志望動機が理想視されるのか?それは言わずもがなかもしれないですけど、公務員としての意欲に溢れているようなものかもしれないですね。ただ、じゃあ逆にそうじゃない志望動機は多くの場合で、ダメ回答扱いされていますね。実際に面接でやる気のないような志望動機を話したら多分不合格にされてしまうのでしょう。でも、安定とか、仕事が楽とか、残業が少なそうといったイメージでって、少なからずみんな持っていると思うし、それが真実の志望動機である可能性(それが志望動機の全てではなく、一部であっても)も結構あるんじゃないか?と思います。そういう気持ちが心の中にあっても、みんな口に出しては言いませんよね。言ったら落とされるだろうというのが見えているので。でも、そういう気持ちを持つことってダメなんでしょうか?

 

例えば、以下の本には「公務員について回る余得」を理由に公務員を目指す人をかなり非難していますが、私は心の中で思っているくらいなら良いんじゃないの?と思います。憲法だって、どんな反社会的な思想もそれが内心に留まる限りは許される。との解釈に立っているじゃないですか?憲法を勉強された方ならお分かりいただけると思いますけど。だから、口に出さない限りは公務員の志望動機が不純なものであっても、そんな問題ないんじゃないの?と憲法も言っているわけですよね。だから、憲法を根拠にしても、そういう志望動機を心の中に閉まっておくならば、そういう志望動機の人が公務員を目指しても問題ないとなりますけど。

 

公務員試験のカラクリ (光文社新書)

公務員試験のカラクリ (光文社新書)

 

 

だいたい、このご時勢を踏まえると、例えば、安定とかを目的に公務員を目指す人がいてもしょうがないと思うんですよね。ベーシックインカムもないし、生活保護も穴だらけだし、我々国民の毎日の生活や生存はなかなか保障されていませんよね。そういう状況下で、そりゃ職業にまず安定とかを求めてしまうのはしょうがないと思う。逆に、そういう状況下にありながら、安定を求めて公務員になるな!というのは、日本社会の欠陥を私たち国民に転嫁しているに過ぎない。じゃあ、安定を求めなくても良いように(安定を理由に公務員を目指す人がいなくなるように)、国がどうしてくれるって言うんです?何もしてくれないでしょう。真の安定を手にするのならば(公務員が本当に安定していると言えるのか?も疑問だけど)、公務員になる以外にないというのが現実だと思うんですよ。

 

だから、そういった不純とも言えるかもしれない志望理由で公務員を目指してくるのは、そういう受験生が悪いのではなく、そういうのを後押しするような景気の状況とか、社会の不完全さがあるからではないですか?その人が別に公務員になって成し遂げたい特別な理由がなくても、公務員に関する余得があまりに魅力的で、公務員を目指す人がいても、それが自分が幸せになるための最善の策だと考えるのならしょうがないと思う。そういう受験生は印象が良くないから国民が非難するのもしょうがないかと思うけど、そのしょうがなさと余得を求めて受験をする受験生のしょうがなさはほとんど一緒だと思うから、結局どっちも私は非難できないという状況になってしまいます。少なくとも今の社会の状況を前提とするならば、そういう志望動機で受験してくる受験生を叩く方がよっぽど身勝手だと思う。

 

そういう志望動機で受験しに来る人が公務員になったら、仕事を真面目にやらないという確証があるのなら話は別だが、そうはならないでしょう。結果的に仕事をちゃんとこなしているのならば、公務員のなる段階の志望動機がどれほど重要な指標になるのか?も分かりません。実際だって、そういう不純な志望動機をいくらか抱えて公務員になっている人は数多くいると思うし、それを面接官も完全には見抜けない。じゃあ、そういう人が仕事を怠けているか?というと、それも確かめようがないが、それもないと思う。結局、不純な志望動機を抱えて公務員になろうとする人を排除するメリットって何なんですか?と、多くの人に問いたくなるのです。