特別区の職員採用試験で合格を目指す人を応援するブログ

特別区Ⅰ類を中心に、公務員試験の難易度や勉強方法を紹介していきます。

学校に行く意味とは?なんのために学校に通うのか?が分からなくなる時代

学校ってなんのために行くのでしょうかね?こんなことを考えている人も少ないのかもしれないが、学校に行く意味が大人になってみるとよく分からない。有名なブロガーであるちきりん氏やイケダハヤト氏は学校に行く必要性はないとブログなどで語っているが、私も最近そう思い始めています。小学校から大学まで17年間通ったが、何を得たのか?というと、よく分からない。学校に通っていて楽しかったこともあるが、それって学校の本来の意義とはちょっと違う楽しさでもあり、学校に通わないと達成できないことではないと思う。私は以前から勉強したい人は大学に通う必要がないことを何度も思ってきたが、それって小学校、中学校、高校も全く同じな気がしてくる。そういった学校における勉強というのも学校に通わないとできないことではない。インターネットが進化してきてるので、パソコンやスマホを使って家で勉強したって良い。それに学校ってどう考えてもリスクがでかい。お金がかかるってこともそうだし、親の目線に立つと、他人にわが子の命運が握られれてしまっているわけだ。

 

他人って信用できます?私は全くできません。ライヤーゲームの主人公の神崎直と真逆の人間みたいだが、どれだけ親しい人でも基本的には私は人を信用しない。それは学校の教師らも同様です。基本的には自分以外の人間はあまり信用できないので、それは他人が何を考えているか?分からないという意味もあれば、基本的に人間は絶対に失敗をするという前提に私は立っているので、教師が何らかのミスにより、わが子を危険に晒した場合には恐らく1番後悔すると思う。それは教師が悪いというよりは人間っていうのはミスを防ぐことはできないのでしょうがない部分もあるのだが、そのリスクを避けられるならば避けたほうが良いはずで、それが学校に通わせないということなのだ。学校に通わすリスクというのはどんなものがあるのか?というと、1番簡単なのは登下校中に交通事故に遭うリスクであり、これは学校に通わない(外出機会が減る)ことで、リスクが大分下がる。実際、私は大人になってから意図的に外出機会を減らしている。交通事故に遭いたくないから。週に2回くらいしか外出しない。

 

あとはいじめに遭わないということや遊んでいるときや体育の授業などで怪我や事故に遭いづらいということもあるし、給食などで嫌いなものを無理矢理食べさせられることもないなど、挙げたらいくつかありそうな気もする。実際、学校に通っているがために死んでしまった生徒や児童がこれまでたくさんいるはず。彼らは学校に通ってさえいなければ生きられた可能性も高いのではないか?と思う。その確率ははっきり言ってかなり低いだろうが、そのリスクは誰もが背負っている。で、そういうリスクを背負いながら学校に通っていて、一体何を得られると言うんだろうか?学校に通ってまで得られたかけがえないのないもの(学校に通わないと得られなかったもの)ってあるだろうか?私はほとんど思いつかない。今の世の中を前提にするならば、学歴を得ることくらいで、学歴がないと職に就けないということは言えるかもしれないけど、職に就くといっても、多くは会社員でアリ、その結果社畜になる人も多いだろう。そうなると、その人は幸せなのだろうか?というと、あまりそうは思えません。時間やお金を負担した結果、幸せとは思えない人生をみんなが歩む。しかも、人間が働ける余地は今後どんどん減るので、仕事の厳しさは今まで以上に増すでしょう。

 

もしそうなれば、学校に通っているという行為は、お金と時間とリスクだけをテイクするだけの作業でしかないことになってしまう。イケダハヤト氏は不登校の子に向けて、「学校なんて真面目に通っても良いことなんかない、むしろ害にすらなる」と言っているが、不登校はよくない的な風潮は確かに世の中にある気がする。でも、不登校がよくないと言える根拠が見出せるか?というと、それは全く別の話で、子供にとっては学校に通うのは権利である以上は、不登校がいけないことと結論づけるのは無理がある。不登校がいけないというのは一般論であり、一般論が正しい根拠はどこにもない。学校に頑張って通った結果リスクをテイクし続け、その結果として社畜になる運命ならば、学校に行く意味はより一層分からなくなりますね。みんなが会社員になろうとするから、会社は選び放題になり、労働条件を厳しくしても労働者がちゃんと残るわけだが、みんなが会社員にならない人生を歩むことが、多くの人が幸せになるために必要なことでしょう。そして、学校に通うと協調性を植え付けられ、一種の洗脳を受けて、人に合わせることが正しい、常識に沿うことが正しいということが価値観として脳内に焼き付いてしまう。その結果、非常識を悪と見なす人が増え、人と違うことを叩く人間が増えるし、サラリーマンにも大いにリスクはあるにもかかわらず、サラリーマン以外の生き方にはリスクがでかいと批判する人が増える。そして、相変わらずみんなが会社員を目指す世の中は変わらず、今後も社畜はどんどん増え続けるだろうと、そして社畜になるために学校に通う現象は今後も継続されると思います。

 

私は小中高大の中で大学は唯一進学して良かったと思っている。しかし、小中高は行かなくて良いのならば、行かなくても良かったかな?と思っているくらいです。大学に関しても大学出られたことは大学に行かないと得られなかったとは言えないので、大学に通うお金や時間が有効に使えたか?というと、大人になると何とも言えませんが、小中高はまさにほとんどが意味なかったと思う。大学は自己満足の部分も含みますが、良かったと思える面もそれなりにあるが、小中高は良かったと思えることの何倍も行かなきゃよかったと思うことが多いのです。別にいじめられていたとか、友達がいなかったとか、そういうわけじゃないのだが、学校で過ごした時間に意味を見出せないのです。学校に当たり前に通う時代は今後も続くでしょうけど、なんのために学校に通うのか?という疑問を持っている人が徐々に増えてきているということは言えます。そういった時代なので、学校の在り方、捉え方というのは少しずつ変わってくる可能性があります。学校に当たり前に通わない人が増えることで、社会がイノベーションを迎えることもあるのではないか?と思います。

 

 

あわせて読みたい記事