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特別区の職員採用試験で合格を目指す人を応援するブログ

特別区Ⅰ類を中心に、公務員試験の難易度や勉強方法を紹介していきます。

いじめはどこから?無視は?対策、対処法としてはどうすればいい?

「いじめ」てどこからがいじめなのでしょうか?いじめと簡単に言うけど、凄い漠然とした定義ですよね。一応、定義はあるみたいなんですよ。文部科学省がまとめたもので、ただそれを読んでも、精神的、物理的な攻撃により苦痛を受けている状況といったことが書かれています。いじめに関するテーマは特別区の教養論文、それ以外の公務員試験の論文試験でも、教育問題、特にいじめ問題について問われる可能性があります。行政職、事務職の市役所、県庁などの職員としての公務員はもちろん、教職、学校事務などの公務員も出る可能性大です。いじめの定義の中には「喧嘩等を除く」と書かれていますが、じゃあ「喧嘩」の定義って何よ?という問題もまた出てきます。いじめについての作文、論文を書くときには、結局いじめ自体の定義を知らないといけませんし、自分なりに考えないといけないでしょう。じゃあ、例えば、無視っていじめですか?といったときに、これがいじめに該当するか?否か?をそもそも誰が判断するのか?という問題もあるが、無視がいじめに該当したとして、何故無視はいけないのか?となります。

 

無視をされた方は、物凄い嫌な気分でしょうね。しかし、無視をする側からしてみれば、その人は無視をしたいくらいに嫌いか?憎いか?そういう人間だということになります。つまり、無視をされる側にも辛い、悲しいという言い分があるが、無視をする側にとっても、あいつ嫌いとか、むかつくとか、そういう言い分が必ずあるはずなのです。そうなると、一概に無視をする方が悪いとは言えないと思うのです。というか、このケースではいじめというか、単に仲が悪いだけだろう。ということになります。私なりのよくない「いじめ」というのは、やはり暴行、障害、恐喝など、明らかに犯罪に害王するケースです。これはいじめ以前に「犯罪だからよくない」という言い方もできますが。しかし、無視は犯罪ではないので、それが良いか?悪いか?っていうのは感情論になってしまう。つまり、主観だということです。無視をされている側が可哀想だから。という理由で、無視をするほうを咎めることはできなくはないが、無視をしている側に仲良くやれよ!と言っても、仲良くしたくない人間と仲良くしないといけないこともまた苦痛であるはずですね。だから、仲が悪い人たちを無理矢理仲良くさせる必要は無いと思いますよ。

 

ただ、これがたまに深刻な状況を生むのは多数にやられる場合もあるということ。特定の人間と中が悪いというのはよくある話だと思いますが、例えば、クラスの大半の人間から同様の行為をされているケースもあります。むしろ、それは学校の中だけじゃないですね。大人の世界でも普通にある。社会人になっても職場ではいじめはあるし、それへの対処法はなかなか難しい。また、例えば有名人が何らかのスキャンダルを生んだりした場合に、週刊誌、テレビ、ラジオなどのマスコミがこぞって報道して、世間にその事実を知らせて、そして世間がその有名人本人に対してバッシングを浴びせるような事態がよくあると思うんですよ。これって、結局いじめと変わらないと思うんですよ。仮にいじめられる原因というか、バッシングを受ける原因が、本人の落ち度としてあったとしてもですよ。その本人がバッシングを受けないといけない理由にはならないでしょう。逆に言うと、世間の一般人がその本人をけなしたり、暴言を吐いたり、誹謗中傷をして良い理由は存在しないじゃないですか?それを逆にしても良いというならば、学校で起きているいじめも同様に、いじめる側が、いじめたい相手に何らかの落ち度や原因を見いだせれば、自由にいじめて良いことになってしまいます。

 

大人が普通にこうやっていじめをしているわけだから、そりゃ子供がいじめをするのはもはや当然とも言えるかもしれません。私の素直な感想を述べると、人間が共生する社会において、いじめをなくすことは不可能だと思っています。学校教員、学校事務、公務員試験の論文や作文でこんなことを書いたら受からないだろうけど、私は素直にそう思います。だから、受かるためにはきれいごとを書かないといけないのです。ある意味大人も当たり前にやっているいじめ行為には目を瞑って、書かないといけない。都合の悪いことは排除して書かないと、論理が成り立ちません。いじめる側がいなくなることはないんですよ。でも、その中でいじめをなくすには?いじめがなくなるには?どうしたら良いか?唯一といっても良い方法は、いじめられた側が逆襲すること。これしかないでしょう。先ほどの例で言えば、有名人に誹謗中傷を浴びせている連中について、プロバイダに協力を要請し、書き込みなどをしている本人を調べて、名誉毀損等で訴えるとか、学校で起きているいじめならば、犯罪に該当するものならば、警察や探偵に相談するか、やり返す。そうじゃないものは諦めるしかないか。無視されるコミュニティ以外の別のコミュニティを探すしかない。

 

やろうと思えば、対処策は可能だが、やるにも限界があるし、できるか?どうかの問題もあるから、現実的にいじめを解決すること、なくすことは不可能といって良い。がちでいじめをなくそうと学校が対策をするとすれば、監視役の人を学校中にめぐらして、随時いじめが起きていないか?監視するといった方法もあるが、それは学校内での対策にすぎない。ネット上でのいじめなどは防げないし、表面上いじめが起きないだけで、何らかの嫌悪感をずっとクラスメイトにもたれている状況は変わらないから、結局いじめを受けている子が学校にいづらいのは変わりない。学校ができるいじめの対策も効果がどこまであるか?ただ、結局芸能界などを見ても、大人になっても平気でいじめをする、もはやいじめというレベルではなく名誉毀損のレベルにまで達しているものも多いが、そういう状況が存在する限り、いじめをなくそうという試み自体が非現実的すぎるのかもしれない。小学校や中学校でのいじめの方が全然マシなレベルに思えてくる。だって、学校でのいじめは学校内のコミュニティでしか起きないが、有名人へのいじめや誹謗中傷などの行為は、世間全体から行われている。もはや逃げ場がない。日本中にはなかなか見つけられないだろう。そういう意味では、より大規模で悪質ないじめを大人が平気でやるんだから、その大人が、なぜいじめはなくならないのか?いじめをなくすにはどうしたらいいのか?なんて言い放っていても全く説得力はない。

 

もういじめ自体は起きて然るべきものとして捉えて、いじめを受けたときには、いじめを受けた側がどう対処すべきか?そっちを考えた方がよっぽど建設的だと思う。いじめを防ごうという考え方自体が、もはや非現実的であり、およそ不可能なことです。いじめはどこからか?どこからがいじめなのか?無視などの犯罪に該当しない行為も入るのか?といった部分も含めて、教育者が考えるべきことは、子供が、生徒や児童がいかにして健やかに生活できるか?です。いや、子供だけじゃない。いじめを現実的に受けている大人への対策も考えるべきでしょう。学校や社会が考えるべきいじめの対策や対処法というのは、いじめ自体を防ぐのではなく、いじめを受けた側がどう反逆をして、抑止力を作るか?これが1番現実的だと思う。あえて理想論やきれいごとは言わない。いじめを防ぐのは不可能です。新たに発生するいじめ自体を食い止める方法は無い。1度起きたいじめをすおっぷさせる方法はまだあるかもしれない。小学校、中学校、職場、親のいじめに対する対処法として賢明なのは、ここを追求していくものではないでしょうか?

 

 

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

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